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東京地方裁判所 平成5年(ワ)14812号 判決

原告

右訴訟代理人弁護士

齋藤

被告

Y1

Y2

右二名訴訟代理人弁護士

菊池史憲

右訴訟復代理人弁護士

渡部公夫

主文

一  被告らは、原告に対し、別紙物件目録≪省略≫記載の一の土地及び二の建物につき東京法務局文京出張所平成五年三月三一日受付第四五五六号をもってなされたA持分全部移転登記を、別紙更正登記目録≪省略≫記載のとおりに更正登記手続をせよ。

二  訴訟費用は被告らの負担とする。

事実及び理由

第一原告の請求

主文と同旨

第二事案の概要

一  原告の主張

1  Aは、別紙物件目録記載の一の土地及び二の建物(本件土地建物)の持分一〇分の五を所有していたが、平成四年九月六日死亡した。

その相続人は、長女被告Y1、その夫で亡Aの養子である被告Y2、二女亡Bの子(代襲相続人)C及び同D、三女原告Xである。

2  亡Aは、平成三年一二月一九日付公正証書によって、本件土地建物に対して有する持分一〇分の五を被告らにそれぞれ二分の一の割合で遺贈する旨の遺言をし(本件遺言)、その遺言執行者として弁護士Eを指定した。

3  しかし、亡Aの相続人である被告ら、同C及び同D、そして原告は、平成五年二月一四日から同年三月五日までの間に、本件土地建物に対する亡Aの持分一〇分の五につき、その五分の一にあたる一〇分の一を原告が取得し、残る五分の四にあたる一〇分の四を二分の一ずつ被告らが取得する旨の遺産分割協議をした(本件遺産分割協議)。

被告らは、本件遺言の存在とその内容を知った上で、なお本件遺産分割協議をしたものである。

4  ところが、本件遺言執行者E弁護士は、平成五年三月三一日、本件土地建物につき東京法務局文京出張所受付第四五五六号をもって平成四年九月六日遺贈を原因とする被告らに対するA持分全部移転登記を経由した(被告らの持分各二〇分の五)。

二  被告らの主張

1  本件遺産分割協議は、民法一〇一三条の「相続財産の処分」にあたるから、無効である。

2  本件遺産分割協議の当時、被告らは、本件遺言の存在と内容を知らなかった。

3  本件遺産分割協議は、その成立の前提条件として、原告が本件建物の地下一階ないし二階部分の賃料約三二万円の内の一〇万円を受け取るべきものされていたところ、原告はその後自らこれを破り、一六万円を要求してきたのであるから、本件遺産分割協議はその前提を失い、効力を有しなくなった。

第三当裁判所の判断

一  証拠(≪省略≫、証人F、原告、被告Y1)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

1  原告は、亡A(明治四二年三月生)の三女であり、被告Y1は長女、被告Y2は、被告Y1の夫であり亡Aの養子である。

2(一)  亡Aは、別紙物件目録記載の一の土地及び二の建物(本件土地建物)の持分一〇分の五を所有していたほか、東京都千代田区〈以下省略〉所在のマンション「●●▲▲」六〇九号室(以下「●●▲▲六〇九号室」という。)の持分二分の一と預貯金等を所有していた。

(二)  本件土地建物の他の所有者は、被告Y1一〇分の四、原告一〇分の一であり、その四階部分には被告ら夫婦が、三階部分には亡Aがそれぞれ居住し、二階部分は第三者に賃貸し、一階部分及び地下一階部分は株式会社岡出ゴム軽金社に賃貸していた。●●▲▲六〇九号室の他の所有者は原告のみであった。

3  亡Aは、平成三年一二月一九日付公正証書によって、本件土地建物の持分一〇分の五を被告らにそれぞれ二分の一の割合で遺贈し、●●▲▲六〇九号室の持分二分の一を全部原告に遺贈する旨の遺言をし(本件遺言)、その遺言執行者として弁護士Eを指定した。(≪証拠省略≫)

本件遺言の証人は、右E弁護士と被告ら夫婦の長女Gの夫であるFであった。Fは、E弁護士が所属する菊池史憲法律事務所の事務職員であり、亡Aから頼まれて証人となったものであったが、Fは、亡Aから、生前、「できることなら本件遺言どおりの内容の遺産分割協議を話合いによって成立させて欲しい。それがだめなら本件遺言によって処理して欲しい。」旨を頼まれていた。

4  亡Aは、平成四年九月六日死亡した。

その相続人は、長女被告Y1、養子被告Y2、二女亡Bの子(代襲相続人)C及び同D、三女原告であった。

5(一)  平成五年二月一四日、原告と被告らは、亡Aの遺産分割について話合いをもち、これに出席したFは、前記のとおり、亡Aから「できることなら本件遺言どおりの内容の遺産分割協議を話合いによって成立させて欲しい。」旨を頼まれていたことから、原告に対し、「本件土地建物を被告らが相続し、●●▲▲六〇九号室を原告が相続するのが、亡Aの生前の意思である。」旨及び「その旨の遺言もある。」旨を告げて原告を説得したが(≪証拠省略≫)、亡Aが自己に相談なく被告Y2と養子縁組をしていたことに強い不満を抱いておりそれをさせたのは被告らであると信じていた原告は、これを承知しなかった。

(二)  結局、右平成五年二月一四日の話合いにおいて、原告と被告らとの間で、(1)本件土地建物に対する亡Aの持分一〇分の五の五分の一にあたる一〇分の一を原告が取得し、残る一〇分の四を二分の一ずつ被告らが取得すること、並びに、これにより本件土地建物に対する原告の持分が合計一〇分の二となるので、被告らは本件土地建物の地下一階ないし二階部分の賃料合計約三二万円の内の一〇万円を原告に交付すること、(2)●●▲▲六〇九号室に対する亡Aの持分二分の一は全部原告が取得すること、の合意がなされた(本件合意)。

6  Fから本件遺言どおりの遺産分割協議が成立しなかった旨を告げられたE弁護士は、平成五年二月一八日、内容証明郵便を差し出し、原告と被告らに対し、「遺言執行者として、本件遺言に基づき、(1)本件土地建物に対する亡Aの持分一〇分の五についてこれを被告らに二分の一ずつの割合で相続登記手続をする旨、(2)●●▲▲六〇九号室に対する亡Aの持分二分の一についてこれを全部原告に相続登記手続をする旨」をそれぞれ通知し(≪証拠省略≫)、被告らは、同年二月二〇日ころ、これを受領した(被告Y1)。

7(一)  平成五年二月一八日、被告らは、本件合意の結果を取りまとめた「遺産分割協議書」を原告にファックスで送信し(≪証拠省略≫)、原告もこれを了承したことから、被告らはその後正式に別紙「遺産分割協議書」を作成して署名押印をし、原告は、同年二月二六日、被告ら方に赴いて右「遺産分割協議書」に署名押印した。また、被告Y1はC方に赴いてその署名押印をもらい、被告らの二男HはD方に赴いてその署名押印をもらい受けた。こうして、同年二月末ころないし同年三月初めころに、亡Aの遺産についての分割協議が成立した(本件遺産分割協議)。

(≪証拠省略≫)

(二)  右「遺産分割協議書」には、(1)本件土地建物に対する亡Aの持分一〇分の五の五分の一にあたる一〇分の一を原告が取得し、残る一〇分の四を二分の一ずつ被告らが取得する旨、(2)●●▲▲六〇九号室に対する亡Aの持分二分の一を全部原告が取得する旨、(3)亡Aの現金及び預貯金を原告と被告らが各四分の一ずつ、CとDが各八分の一ずつそれぞれ取得する旨、の記載がある。

(三)  被告らは、平成五年三月二二日、本件遺産分割協議に基づく登記手続を原告に委ね、右「遺産分割協議書」、印鑑登録証明書(≪省略≫)等を原告に交付した。

8  原告は、右平成五年三月二二日、本件合意に反して、本件建物の地下一階ないし二階部分の賃料の内の一六万円を被告らに要求し、被告らは、これに強く反発した。そして、被告らは、本件遺言に従って処理することに翻意し、その旨をFに伝えた。

9  E弁護士は、本件遺言に基づき、平成五年三月三一日、本件土地建物につき東京法務局文京出張所受付第四五五六号をもって平成四年九月六日遺贈を原因とする被告らに対するA持分全部移転登記を経由した。

(≪証拠省略≫)

10  原告は、本件遺産分割協議に基づき、平成五年五月一八日、●●▲▲六〇九号室につき東京法務局受付第八八三号をもって平成四年九月六日相続を原因とする原告に対するA持分全部移転登記を経由した。

以上の事実が認められる。

二  判断

1(一)  特定の土地建物を相続人の一部の者に遺贈する旨の遺言がある場合において、その遺贈を受けた相続人が右遺言の内容を知りながらこれと異なる遺産分割協議をした場合には、右遺産分割協議は右遺言に優先するものというべきである。けだし、特定物の受遺者はいつでも遺贈の全部または一部を放棄することができるのであり(民法九八六条一項)、自己に有利な遺言の内容を知りながらこれと異なる遺産分割協議を成立させた場合には特段の事情のない限り遺贈の全部または一部を放棄したものと認めるのが相当であるからである。

(二)  そこで、本件において、本件遺産分割協議の成立時に被告らにおいて本件遺言の内容を知っていたか否か、すなわち、本件遺言によって本件土地建物の持分が被告らに遺贈されていることを知っていたか否かにつき検討するに(なお、本件遺言が、本件土地建物の持分を遺贈する趣旨のものであることは、当事者間に争いがない。)、前認定のとおり、被告らは本件遺産分割協議の成立時には本件遺言の内容を知っていたものと認められるから、特段の事情の認められない本件においては、被告らは本件土地建物の持分の遺贈を全部または一部放棄したものというべきであって、本件遺産分割協議は本件遺言に優先するものというべきである。

(三)  すなわち、本件遺産分割協議が成立したのは別紙「遺産分割協議書」に相続人全員が署名押印した平成五年二月末ころないし同年三月初めころと認められるところ、①それに先立つ同年二月一四日の原告と被告らとの本件話合いにおいて、Fは「本件土地建物を被告らが相続し、●●▲▲六〇九号室を原告が相続するのが、亡Aの生前の意思である。」旨及び「その旨の遺言もある。」旨を告げていること、②そして、被告らは、その後同年二月二〇日ころに受領した本件遺言執行者E弁護士からの内容証明郵便により、亡Aが「本件土地建物の持分を被告らに遺贈し、●●▲▲六〇九号室の持分を原告に遺贈する。」旨の遺言をしていることを知るに至ったこと(この点は被告Y1の自認するところでもある。)、以上の点に徴すると、少なくともそれ以後被告らによって別紙「遺産分割協議書」(署名押印を除く。)が作成準備された時点においては、被告らは本件遺言の存在とその内容を明確に知っていたものと認めるのが相当である。

そして、被告らは、その後右「遺産分割協議書」に自ら署名押印をするとともに、他の相続人である原告やCらにも署名押印を求めて右「遺産分割協議書」を完成させ、こうしていつでも登記手続をとり得る状態にした後、結局、自らは登記手続をとらずに、平成五年三月二二日、これを原告に委ねて、右「遺産分割協議書」と自己らの印鑑登録証明書等を原告に交付したのである。

そうとすると、被告らは、本件土地建物の持分の遺贈を全部または一部放棄したものというべきであって、もはや本件遺言があることを理由に本件遺産分割協議に基づく登記手続を拒むことはできないものというべきである。

(四)  たとえ、被告らが原告との仲を円満にするためにやむなく譲歩して本件遺産分割協議に応じたものとしても、それをもって右結論を変えることはできない。

また、被告らは、「本件遺産分割協議は、その成立の前提条件として、原告が受け取るべき賃料が月一〇万円となっていたのに、原告は、その後自らこれを破り、一六万円を要求してきたのであるから、本件遺産分割協議はその前提を失い、効力を有しなくなったものである。」旨主張するが、右一〇万円の支払いが本件遺産分割協議の前提条件となっていたとまでは未だ認められず、また、原告の月一六万円の要求に対してはこれを別途解決すればよいのであって、それをもって一旦成立した本件遺産分割協議を無効となし得るものでもない。

2  また、被告らは、本件遺産分割協議が民法一〇一三条にいう「相続財産の処分」にあたる旨主張するが、本件遺言によって遺言執行者たるE弁護士が取得した職務権限(任務)は、本件遺言の目的とされた本件土地建物と●●▲▲六〇九号室に関するものであるところ(民法一〇一四条)、前示のとおり、本件土地建物の持分の遺贈を受けた被告らはその遺贈の全部または一部を放棄して本件遺産分割協議をなしたものであり、遺贈が放棄された場合には初めからその効力が生じなかったことになるのであり(同九八六条二項)、その放棄された部分は当初から相続人に帰属することになるのであるから(同九九五条)、そうとすれば、遺言執行者において本件土地建物の持分について遺言を執行する権限(任務)はなくなるのであり、したがって、本件遺産分割協議はもはや民法一〇一三条にいう「相続財産の処分」または「遺言の執行を妨げるべき行為」にはあたらないものというべきである。被告らの右主張は採用することができない。

3  よって、原告の本訴請求を認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 原田敏章)

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